会社員は楽だった。でも組織で働くことが自分には無理だった

窓際の木製デスクに置かれたノートパソコン、開いたノート、マグカップ

昔は、もっと何も気にしなかった。

人の音も、気配も、今ほど気にしていなかった。
騒音にしても、むしろこちらが出す側だったように思う。

友達と話す声。
物を動かす音。
夜に何かをする音。
そういうものを、今ほど深く考えていなかった。

それがいつからか、逆になった。

音を出すことにも、音を聞くことにも敏感になった。
人の気配が気になるようになった。
自分の行動が誰かの迷惑になっていないか、先に考えるようになった。

たぶん、サラリーマンをしてからだと思う。

会社に入ると、気を遣うことが当たり前になる。

迷惑をかけない。
相手の気持ちを読む。
空気を読む。
社会人として当たり前。
上司には従う。
みんなと仲良くする。
みんな一緒が一番いい。

そういうものを、毎日少しずつ刷り込まれていく。

最初はそれが普通だと思っていた。
社会人なのだから、そうするものだと思っていた。

でも、それを続けているうちに、自分より先に他人を見る癖がついた。

自分がどうしたいかより、相手がどう思うか。
自分が嫌かどうかより、場の空気がどうなるか。
自分の都合より、会社の都合。
自分の感覚より、上司の機嫌。

それを何年も続ける。

すると、会社を離れても、その癖だけが残る。

玄関を開ける前に、外に誰もいないか確認する。
隣がもう出勤したなら、今のうちに庭掃除をしようと思う。
人がいるだけで嫌になる。
挨拶も嫌なのに、されなければそれはそれで嫌になる。

自分の家にいるのに、先に他人の存在を読んでいる。

隣の騒音に悩むのも、たぶんそこにつながっている。

音がうるさいだけではない。

なぜ静かにできないのか。
なぜ迷惑を考えないのか。
自分はここまで気を遣っているのに、なぜ相手は普通に音を出せるのか。

そう感じてしまう。

その怒りの奥には、相手への憎しみというより、自分だけがずっと他人を気にしているような不公平感がある。

会社員時代も、似たようなことを繰り返していた。

会社員は、楽な面もある。

毎月給料が入る。
決まった時間に行って、決まった仕事をする。
社員になってしまえば、何も考えなくても生活は安定する。

その意味では、会社員は楽だった。

でも、自分はだいたい3年くらいすると本気で会社が嫌になった。

最初は普通にやれる。
むしろ新しい環境だから頑張れる。
仕事も覚える。
人間関係もそれなりにやる。

でも、だんだん嫌になる。

必ず嫌な人が出てくる。
合わない人が出てくる。
人間関係が悪くなる。
会社に行くのが嫌になる。

たぶん、自分が悪い部分もあったと思う。

嫌だと思うと顔に出る。
納得できないことを飲み込めない。
相手に合わせようとしても、途中で限界が来る。
我慢して、我慢して、最後に嫌になる。

そしてまた次を探す。

それを繰り返してきた。

会社で嫌なことがあると、帰宅後に検索した。

どうしたらいいのか。
上司との付き合い方。
嫌な同僚への対処。
なめられない方法。
空気を読む方法。
気にしない方法。

見つける。
試す。

相手の機嫌を取る。
我慢する。
上司の言うことを素直に聞く。
ときには喧嘩もする。

でも結局、なめられる。
いいように使われる。

会社員を辞めてから、やっと分かったことがある。

相手に合わせることは、なめられることでもあった。

ずっと、相手に合わせることは良いことだと思っていた。
迷惑をかけないこと。
空気を読むこと。
相手の気持ちを考えること。
それが社会人として正しいと思っていた。

でも、合わせすぎる人間は、優しい人ではなく、都合のいい人になりやすい。

断らない人。
言えばやる人。
多少押しても大丈夫な人。
都合を押しつけても文句を言わない人。

そう見られる。

逆に、適当にやっている人の方がうまくやっていることがある。

自分の都合を普通に言う人。
嫌なことは嫌だと言う人。
上司にも普通に意見する人。
全部を真面目に受け取らない人。

そういう人の方が、なぜか会社の中で軽く扱われていなかった。

昔はそれが分からなかった。

でも今なら分かる。

あの人たちは、先に自分の輪郭を出していた。
自分の都合や意見を隠していなかった。
だから相手も、そこを前提に扱うしかない。

自分は逆だった。

先に相手を読んで、先に合わせて、先に我慢していた。
その結果、相手から見れば都合のいい人になっていた。

会社員を辞めてから、無職で3年過ごした。

貯金は削られていった。
何かしないとまずいと思う日も増えた。
このままでいいのかという焦りもあった。

でも、その3年で自分を取り戻してきた感覚もある。

会社員時代、自分は自分じゃない自分を作っていた。
社会人として問題のない顔。
空気を読む顔。
上司に逆らわない顔。
みんなとうまくやる顔。
迷惑をかけない顔。

それを自分だと思っていた。

でも、会社を離れて時間が経つと、それは組織にいるために作った自分だったと分かってきた。

もちろん、人間といると疲れる自分は変わらない。

無職で休んだからといって、すべてが治ったわけではない。
人間関係がある場所に入れば、また空気を読んでしまう。
相手の都合を考えてしまう。
自分より先に他人を見てしまう。

そこは変わらなかった。

でも、昔と違うのは、それを「自分が社会人として未熟だから」とだけ思わなくなったことだ。

自分には合わない環境がある。
組織の中で、他人に合わせ続ける働き方が合わない。
そこを無理に直そうとすると、自分のほうが壊れていく。

そう分かるようになった。

ただ、貯金は減っていく。

何かしないとまずい。
でもサラリーマンには絶対に戻りたくない。

それで、無理のない範囲で掃除のバイトを始めてみた。

やってみると、人間関係が楽しい部分もあった。
体を動かすのも悪くなかった。
少し社会に戻った感じもあった。

でも、やはり組織の嫌な部分が出てきた。

新人はサービス早出をしろ。
この日出てくれと頼んでくる。
でもこちらの「この日は出られません」は通りにくい。

頼みごとのようで、実際には圧がある。
自由に見えて、結局は組織の都合が先に来る。

そこでまた悩んだ。

ああ、やっぱり組織にいることが無理なんだと思った。

その後、個人事業主になった。

Amazon Flexを始めた。

仕事は大変だった。
時間の期限もある。
配達も疲れる。
危ない面もある。

でも、ものすごく気楽だった。

朝礼がない。
挨拶してもしなくてもいい。
休みたければ前日にキャンセルできる。
入りたければその日に入れることもある。
誰かと仲良くしなくていい。
上司の機嫌を読まなくていい。
変な空気を読む時間が少ない。

こういうことだと思った。

自分が欲しかったのは、楽な仕事ではなかったのかもしれない。

人間関係の中で自分じゃない自分を作らなくていい働き方。
誰かの都合に入り込みすぎない働き方。
自分のリズムを残したまま働ける形。

それが欲しかったのだと思う。

今は、自由に働ける働き方をいろいろ試している。

Amazon Flexもそうだし、ブログもそうだ。
掃除バイトも完全に悪いわけではない。
ただ、組織に入るとまた同じ苦しさが出ることは分かった。

会社員を辞めてから、貯金は減った。

それは事実だ。

でも、自分じゃない自分を続けていた頃よりは、だいぶ戻ってきた。

自分は、人間といると疲れる。
組織に入ると、また空気を読みすぎる。
相手に合わせすぎる。
都合のいい人になって、最後に嫌になる。

そこはたぶん、簡単には変わらない。

だから今は、そこを無理に変えようとするより、壊れない働き方を探している。

会社員に戻るためではなく、
自分のまま働ける場所を増やすために。

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