騒音が苦手な自分が戸建てを建ててみた|戸建てでも消えなかった音と、気を逸らすためにやったこと

すりガラスフィルム越しに隣家がぼんやり見える静かなリビングと、テーブルに置かれたゲームコントローラー

騒音が苦手な自分が戸建てを建ててみた|戸建てでも消えなかった音と、気を逸らすためにやったこと

自分は、5年前に新築した戸建てで一人暮らしをしている。

家を建てた理由は、いわゆる立派な動機ではなかった。

家賃を払い続けるよりは、建てたほうが自分のものになる。
戸建てなら隣人を気にせず、映画やゲームも楽しめる。
ガレージを作って、車やバイクを手入れして、綺麗に保てる。

だいたいその程度の感覚だった。

いらなくなったら売ればいい。
それくらいに思っていた。

家の気密性能は高く、窓もペアガラス。
閑静な住宅地で、区画整理された綺麗な街並み。

住み始めた当初は、かなり快適だった。

正直に言えば、
「これでようやく落ち着ける」
と思っていた。

でも、実際にはそう単純ではなかった。

戸建てでも、騒音はあった。
というより、自分の場合は「音量」よりも、音を待つ生活になってしまったことがきつかった。

目次

戸建てでも音は入ってくる

高気密・高断熱で、ペアガラスなら音の問題は起きないと思っていた。

窓を閉めていれば、会話はほとんど聞こえない。
隣家とも数メートル離れている。
だから大丈夫だと思っていた。

実際、家の中はかなり静かだ。

外の環境音が遮られているせいで、基本的にシーンとしている。

そこで変なことが起きた。

静かだからこそ、通ってくる音だけが目立つ。

通ってくるのは、ずっと鳴り続ける音ではない。
うるさい音というより、刺さる音だった。

子どもの甲高い声。
ドタバタ走る音。
ウッドデッキの重低音。
ボールの「ドン」という衝撃音。
シャッターのガラガラという音と、最後の「ガシャン」。

こういう音は、ペアガラスでも入ってくる。

会話は聞こえない。
でも、突発的な音だけが入ってくる。

これがきつかった。

ずっと鳴っているなら、まだ別の受け止め方があったのかもしれない。
でも、突然来る。
いつ来るか分からない。

そして一度気になり始めると、音が鳴っていない時間まで、耳が外を探すようになる。

音そのものより、「待つ状態」がつらかった

土曜の昼前、ゲームのコントローラーをテーブルに置いた。
セーブをして、テレビの電源を切る。

部屋が一気に静かになる。

何も音がしない。
それなのに、耳だけが外を探している。

「今日はどうだろう」

時計を見ると、午前10時半くらい。
いつもなら、そろそろ庭に出てくる時間だ。

まだ何も聞こえない。
それでも、南側の窓の向こうが気になってくる。

レースカーテンの向こうで、かすかに足音がした気がした。

次の瞬間、

「キャッ」

甲高い声がひとつだけ跳ねる。

それを聞いた瞬間、
「ああ、今日も始まったか」
と、体のほうが先に反応する。

そこから先の数時間をどう過ごすか、頭の中で勝手に組み替え始める。

ゲームをもう一回つけるか。
別の部屋に移るか。
外出してしまうか。

そうやって、その日の過ごし方が「向こうの予定」によって決まっていく。

この状態が、いつの間にか増えていった。

最初は、音量の問題だと思っていた。
でも後から考えると、音そのものよりも、「その音が生活に割り込んでくる合図になった」ことのほうが大きかった。

音が鳴ってからつらいのではない。

音が鳴るかもしれない時間になると、体が先に構える。
まだ何も起きていないのに、耳が待機状態になる。
確認が終わるまで、次の行動に移れない。

鳴らなくても構えっぱなしになる。
鳴ったら鳴ったで、「ほら来た」と一気に疲れる。

どっちに転んでも削られる。

これが、いちばんきつかった。

静かな家ほど、特定の音だけが浮く

戸建てに住む前は、静かな家なら落ち着けると思っていた。

でも、自分の場合は少し違った。

静かすぎる家の中では、外から入ってくる特定の音だけが浮き上がる。

車の走行音や街のざわめきがある場所なら、隣の音だけがここまで目立たなかったのかもしれない。
でも閑静な住宅街だと、普段が静かなぶん、突発的な音がはっきり聞こえる。

一人暮らしという条件も大きかったと思う。

家の中に生活音が少ない。
人の話し声もない。
ペットの気配もない。

だから、外の音がそのまま一日の区切りや合図として入り込みやすい。

気づかないうちに、生活の主導権が少しずつ奪われていった。

何時に何をするかを自分で決めているようで、実際には外の音に合わせてしまう。
自分のペースで動いているつもりでも、どこかで「向こうのリズムに乗っている」感じがつきまとった。

これは「自分が神経質になっただけ」という話にしたいわけではない。

静かな家の中で、
「あの音がそろそろ来る」
という予感だけをずっと浴び続けた。

そのうち、音に反応するんじゃなくて、音を待っている時間のほうが生活の一部になっていった。

視線の問題もあった

音と並行して、視線の問題も出てきた。

ソファに座ると、南側の窓の向こうに庭が見える。
庭が視界に入るだけで、隣家の存在が生活の中に入り込んでくる感じがあった。

レースカーテン越しなので、中がはっきり見えるわけではない。
それでも落ち着かない。

窓側に近づきたくなくなる。
窓の近くでくつろぐ時間が減っていく。

当時は、単純に「見えるのが嫌なんだ」と思っていた。
でも後から整理すると、中心にあったのは“見える/見えない”そのものではなかった。

嫌だったのは、生活の途中でいつでも視界が外に繋がってしまうことだった。

何かをしていても、ふと顔を上げたときに、必ずそこに庭がある。
目を向けなくても、窓がそこにあるだけで外の気配が入り込む。

家の中にいるはずなのに、視界の出口が常に外に向いている。

その「開きっぱなし」の感じが、いちばんきつかった。

実際に見られているかは分からない。
隣家がこちらを意識しているかも分からない。

ただ、
「見ようと思えばいつでも見える距離にいる」
という条件だけは残る。

その可能性が残るだけで、こちらの生活は勝手に調整されていく。

窓際に行かない。
立ち上がるタイミングをずらす。
カーテンを開ける速度が変わる。

そういう小さな調整が積み重なる。

「被害です」と言いたいわけでもない。
「自分の思い込みでした」で片づけたいわけでもない。

ただ、生活の側が開きすぎていて、緊張が解除されない。
その状態が続くと疲れる。

音にも、似たような感覚があった。

相手の音が聞こえるということは、こちらの音も届いているかもしれない。
そう分かってしまうのが嫌だった。

向こうの生活がこちらに入ってくるだけではない。
こちらの生活も、向こうに漏れているかもしれない。

テレビの音。
足音。
玄関を開ける音。
物を置く音。

そういうものまで誰かに届いているかもしれないと思うと、家の中でも動きが小さくなる。

嫌だったのは、相手の音だけではなかった。
自分の生活も、相手の生活とつながってしまっているように感じることだった。

相手が悪くないから、余計につらかった

ここが一番ややこしかった。

相手に明確な悪意があるわけではない。

大人の声は抑えられているのが分かる。
シャッターも乱暴に開けている感じではない。
むしろ気を使っているようにも見える。

配慮しているのは伝わっていた。

それでも、こちらの感覚は消えなかった。

なぜか許せない。
攻撃されているように感じる。
でも相手が悪いとも言い切れない。

この状態がいちばんきつかった。

相手に悪意があるわけではない。
ただ、こちらには逃げ場がない。

誰も悪くない形のまま、こちらだけが削られていく。
その構図の中で孤立感が生まれる。

あとから分かったのは、怒りの中心が「音」そのものではないということだった。

配慮不足への怒りでもない。
一方的にさらされ続ける状態に対する、防御反応に近かった。

相手が気を使っているのが分かるほど、
「これは自分の問題なのか」
と逃げ場がなくなる。

そこがきつかった。

ネットで探しても、救われなかった

理由が分からない状態が続くと、説明を探し始める。

自分もそうだった。

騒音。
視線。
隣家トラブル。

検索すれば、話はいくらでも出てくる。

でも読んでいて多かったのは、だいたいこういう言葉だった。

「気にしすぎ」
「戸建てなんだから恵まれている」
「もっとひどい環境の人もいる」
「慣れるしかない」

言っていることは、たしかに正しいのだと思う。

でも、その文を読んだからといって、こちらの生活は1ミリも変わらなかった。

自分が困っていたのは、「音が大きい」ことだけではなかった。
むしろ、音は大きくない日もある。
ずっと鳴っているわけでもない。

つらいのは、別のところにあった。

音が鳴っている瞬間そのものより、
「鳴るかもしれない時間」を毎日意識させられること。

土日や夕方が近づくと、体のほうが先に構えてしまう。
実際に鳴ったかどうかより、「今日もこの時間が来た」という事実だけで消耗する。

そういう状態を、ネットの言葉はほとんど拾ってくれなかった。

「気にするな」と言われても、気にしているのは音というより、待つ状態のほうだった。
「慣れろ」と言われても、慣れる前に生活が音の時間割に寄っていく。

だから自分は、解決策だけではなく、起きた順番を並べて考えることにした。

何が起きていたのかが言葉になれば、少なくとも「気にしすぎだ」で終わらせずに済む。

やった対策① スキマテープで気密を上げた

最初にやったのは、窓の隙間対策だった。

インナーバルコニーの横に、大きな窓とは別に引き違い窓がある。
そこだけ構造上の隙間が大きく、虫の鳴く音が入ってくるのが気になった。

換気扇を強く回すと、隙間が鳴るような風切り音も入ってくる。

その隙間をなくせば、音が小さくなって落ち着くのではないかと思った。

そこで、窓ガラスの周囲全体に市販の隙間テープを貼った。
窓を閉めるときの抵抗が増えて重くなったが、その分、気密は上がった。

効果はかなりあった。

すきま風はなくなり、虫の音も窓を伝わる微かな気配として聞こえる程度になった。

ただ、そこで別の問題も出てきた。

部屋はますますシーンとした。
その代わりに、窓を貫通してくる音だけが前より鮮明に聞こえるようになった。

静けさが増えた分、通ってくる音だけが浮き上がった。

隙間を塞いで音を減らしても、楽になるとは限らなかった。

ここで初めて、音の問題は「大きい/小さい」だけではないと感じた。
静かな環境ほど、通る音だけが目立つ。

やった対策② 視界から消す

下半分にすりガラスフィルムを貼ったリビングの窓
南側の窓に貼ったすりガラスフィルム。外の気配を完全に消すというより、無意識に確認してしまう入口を減らすために貼った。

次に手を入れたのは、音そのものではなく視界だった。

見えているから想像が始まり、その想像が音まで刺さりやすくしているのではないかと思った。

なら、見えなくすれば音も気になりにくくなるのではないか。
そう考えて、南側の窓にすりガラス系のフィルムを貼った。

自分がやりたかったのは、単なる目隠しではない。

相手を遮断したかったわけでもない。
想像の入口を閉じることだった。

窓の向こうに庭が見える。
庭が見えると、発想が勝手に走る。

「今いるかもしれない」
「次は出てくるかもしれない」
「そろそろシャッターを開けるのか閉めるのか」

そうやって、生活が外の状況に引っ張られていく。

すりガラスフィルムを貼ると、庭の情報が一気に薄くなった。

結果として起きた変化は派手ではない。
でも、確実に違った。

窓の向こうを見てしまう回数が減った。
気配を拾ってしまう頻度が下がった。
動きを無意識に気にする時間が短くなった。

面白かったのは、視界の情報量が減ると、音まで変わったように感じたことだ。

近所の自販機の補充音や、布団たたきの音など、以前なら拾っていたものが、気づけば意識に上がらなくなっていた。

昼間に見えないのはもちろん、夜も隣の家の電気がついていることが分からなくなった。
おかげで、夕方に「まだシャッターを閉めてないな」など、無駄な確認をしなくてよくなった。

音が消えたわけではない。
それでも、生活の中で“情報として成立しなくなる”瞬間が増えた。

自分にとっては、かなり大きかった。

代償もある。

見通しの良い風景は消えた。
窓から抜ける感じも減った。

それでも、剥がすかと考えると、今のままでいい。

自分の中では、景色より「見られない状態」のほうが優先度が高かった。

やった対策③ ホワイトノイズで音をぼかす

窓際に置いたホワイトノイズマシン
窓際に置いたホワイトノイズマシン。音を消すというより、外の音をぼかすために使っている。

隙間テープで気密を上げたとき、部屋はさらに静かになった。
でも静かになった分、外から入ってくる音だけが前より鮮明になって、逆に刺さった。

静けさを上げる方向だけでは、落ち着くとは限らない。
そう分かった。

そこで発想を変えた。

音を消すのではなく、環境音を足してぼかす。

消したいのは音量ではなく、音の正体だった。

正体が分かると、生活リズムが読めてしまう。
読めると待機が始まる。
待機が続くと消耗が常駐する。

この流れを切るには、音を薄めるしかないと思った。

実際、ゲームに集中しているときや料理をしているときは、シャッターの音が気にならなくなる瞬間がある。

集中しているうえに、手元の音があると、意識がそっちに寄る。
なら、その状態を何かで作れないかと思った。

そこでホワイトノイズマシンを導入した。

一台ではなく、複数台にした。
場所ごとに置いた。

特に寝室の南側の窓の左右に二台置いたときは、音が部屋全体に広がって安心感が違った。
一台に戻すと、途端に頼りなく感じた。

最初にホワイトノイズをつけた夜は、正直失敗したかと思った。

寝室の電気を消して、ベッドに横になる。
スイッチを入れると、「サーッ」という水の音とも空調の音ともつかない音が部屋全体に広がる。

「うるさいな」と思った。

せっかく静かな家なのに、わざわざ機械の音を足していることに、少し抵抗もあった。

でも、しばらくすると変化があった。

外から車が一台通り過ぎていく音がした。
いつもなら、その一台一台を「どの方向か」「どの家の前で止まるか」と無意識に追ってしまう。

でもその夜は、そこまで追いかけなかった。

車の音とホワイトノイズが混ざって、
「何か音がした」
くらいで流れていった。

数日続けるうちに、ホワイトノイズそのものは耳に入っているのに、いちいち意識に上がらなくなっていった。

逆に、一度だけ一台に減らしてみたときは、外の音が急にくっきり戻ってきた。
そのとき、
「ああ、自分はこの音にかなり助けられていたんだな」
と実感した。

自分にとって、ホワイトノイズは「音を消す道具」ではなかった。

音にいちいち反応しなくて済むようにする道具だった。

声がしても、誰の声か、どの方向かを判断しにくくなる。
衝撃音がしても、「今のは何だ」と反射で意識を持っていかれにくくなる。
音がしても、それが生活の予定や次の出来事の合図になりにくくなる。

つまり、聞こえてはいる。
でも、こちらの行動が動かされにくい。

音が合図にならないぶん、身構える回数が減る。
身構える回数が減るから、消耗が減る。

完全に消えるわけではない。
でも、生活への割り込み方が変わった。

自分の中では、ここがいちばん効いた。

二重窓は最強だと思う。でも保留にした

正直に言えば、最強の選択肢は最初から見えていた。

二重窓だ。

見積もりも取った。
防音に特化したメーカーを選ぶと、一箇所約30万円。

効果はたぶんしっかり出る。
物理的には強い。
そこは間違いない。

それでも迷った。

理由の一つは金額だ。
生活が変わるなら出してもいい、と頭では思う。
でも現実として高すぎる。

「たしかに効く。でも高すぎる」

その感覚だけが残った。

もう一つは、見栄えと不可逆性だ。

工事を入れると戻せない。
機能だけでなく、空間の見た目が変わる。
家の雰囲気を崩したくなかった。

そして、ここが一番大きかったかもしれない。

本当にそこまでやるべきなのか、という迷いだ。

音に苦しんでいるのは事実。
でも「工事をするほどの被害なのか」と問うと、言葉にしづらい。

誰も悪くない。
トラブルでもない。
その状態で大金を投じることに、どうしてもブレーキがかかった。

だから、自分はいきなり最強解には行かなかった。

まずはホワイトノイズを試した。
すりガラスフィルムを貼った。
隙間テープも貼った。

失敗しても戻せる。
段階的に判断できる。

これは妥協したというより、今の自分にはここまでが現実的だった、くらいの距離感だ。

二重窓は却下ではなく、保留になった。
必要になったら選べる位置に置いたままにしている。

完全には解決していない。でも戻れるようになった

ここまで対策をしても、音は残る。

調子がいい日は、ほとんど気にならない。
でも疲れている日や、突然音が入った日には、以前の感覚が戻ってくることもある。

それでも、ひとつ明確に違うのは、
「一日全部が壊れる」
ことが減ったことだ。

以前は、ひとつ音が入るだけで、その日が全部持っていかれる感じがあった。
土日が来るだけで身構えていた。
夕方になると、シャッターの音を待っていた。

今も少しは残っている。

でも、気にしなくなる時間が増えた。
音が入っても、生活に戻れることが増えた。
引きずられる時間が短くなった。

完全解決ではない。
ただ、囚われる時間は減ってきた。

今は、「ゼロにする」より「戻れる」を基準にしている。

音が入っても、生活がそのまま続く。
引きずられる時間が短い。
その状態のほうが、現実として回しやすい。

完全解決を目指すほど、生活が対策中心になる。
頭の中の比率が、音と隣家のことで埋まっていく。

それ自体が、別の消耗になる。

だから今は、これでよかったと思っている。

おわりに

これは、騒音を完全に解決した話ではない。

自分の感覚がどこで変わって、何に反応して、何が効いて、何が残ったのか。
それを並べてみた記録だ。

ただ、起きていたことを順番に並べると、
「自分が弱いから」
で終わらなくなる。

どんな音が刺さっていて、
そのせいでどんな待ち方をして、
どこで消耗していたのか。

その流れだけは、前よりはっきり見えるようになった。

自分の中では、
「今日は気にならなかったな」
「それほどうるさくないか」
と感じる日が前より増えた。

それだけでも、だいぶ暮らしやすくなった。

また必要になったら、試して、記録していく。

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